明日から早起きするぞ

人生わやぱりぴ。

終わりました

実家でお風呂上がりです。リビングに転がって書いてます。

葬儀等今日やることは終わりました。

今日もたくさん思う事があったので書き留めておこうと思います。


今日の朝方は記事を書いてからまた仮眠を取りつつ30分おきくらいに起きて線香をしてというような感じでした。起きておくのがいいと言われるのですが流石に体力がなかったです。普段は9時間くらい寝ているのでそれもあって。それを9時半頃まで繰り返していたかな。それから起きて寝ていた部屋を掃除して着替えて、といった感じでした。

私が着替えたりなんやかんやしている間に棺の窓が閉められてしまっていて少しさみしいような気持ちになりました。

あと受付係をいきなり任されてあたふたしました。


告別式が始まって、私は母の隣に座っていました。じーっと祖母の写真を見ながらお経を聴いておりました。元気だった頃の写真を使っていたのでそこにいた祖母とは全然違いこれまた10年間の苦しみというものを考えて辛くなりました。写真は笑顔が綺麗ですごくいいものだと思います。元気だった祖母は笑うことが多かったように思うので(ニコニコというよりアハハというイメージでした)それを表すような写真です。

他には夜中にコーラをお供えしたり寒かったので即席味噌汁をお供えしたりしてたので食べてるかなぁとか考えたり。


その後いよいよ最期のお別れとなって、棺の蓋が外されました。みんなでお花を飾ってあげたり、夜書いた手紙を入れたり。他にはお願いして私の使っていたクリームチーク兼リップバームのようなものを入れてもらいました。あとはお供えしていたコーラも少量ならば、とのことで化粧品と一緒に足元に置かせて貰いました。

昨日の夜、母が祖母の口紅を塗り直してあげたいとのことで私が持っていた赤いものを貸したので、それを入れました。祖母はお洒落が好きで髪の毛はパーマで染めてたしピアスホールも5つくらいはあけてるし……(小学校の運動会に髪の毛ソバージュでつば広の帽子被って某ブランドのグラサンかけたおばあちゃんが来るの冷静に考えてウケみがある。そんな感じでお洒落な人でした)そんな人がむこうで化粧道具一つも持たないのはなんかなーと思ったし、ちょうどサブで使用していたものでもあったし、私がまた新しいものを買ってお揃いで持つのもいいかな~とか少し思ったりもしてます。

そしてその時じっくりと顔を見ました。亡くなってから40時間くらいたったでしょうか、その間に目の上の骨ばった感じが強くなって、口も少しずつ開いていってしまっていた祖母。最初見た時は本当に死んでいるのかと疑うようであったのですがやはり亡くなってしまったのだと思い大泣きしました。


さよならをして蓋をみんなで閉め、火葬場へと向かいました。そうしてまた拝んでいただき、その時に棺の窓から本当に最後にお顔を見ても良いとのことで焼香後に見に行きました。向こうで化粧してなぁと声をかけて、お別れにしました。

その後は向こうの方の手で窯に入れられていく様子を見ました。扉が閉まってしまいました。またわたしは大声を上げて泣きました。19歳なので以下略。泣き声うるさいガールじゃ~。

あの瞬間二度と経験したくないですね。生きていく上でこれから何度も大事な人のその場面を見届けなければならないことはわかるのですが。

グズグズしながら待合室に歩いていくとやはり母にも「生きとった方が辛いんだからお疲れ様って思ってあげんと」と言われました。


待合室で妹やいとこたちと少しお菓子を食べました。来たる拾骨のことを考えていました。確か7歳か8歳の時に実父の骨を拾った覚えがありとても怖いイメージで心臓がドキドキしていました。祖母が骨になることを想像できませんでした。一時間と少しした時アナウンスで呼ばれました。


つい先程まで身体として実体があったひとが変わり果てていたのには驚きましたが、それまで抱いていた恐怖などは薄れ祖母の骨を拾ってあげようという気持ちになりました。でもやはり少し手は震えていたような気がします。あとは10年間床に伏せていたのもあり骨が残るのかという懸念?不安?もありましたが大丈夫だったと思います(基準がわからない)棺に収めた化粧品やコーラや手紙、お花たちは祖母が綺麗に持っていってくれました。

コーラ少なくするために母とおばと私で回し飲みしたとき「なんでぇ!アタシの分すくねえがな!!」とか言ってるやろワラみたいな話をしてて、それを少し思い出しました

25日、26日と雨が降っていた(26日は朝土砂降り)のですが祖母が空に上っていったちょうどその頃雨が上がっていました。なんだかすごいものを感じました。


その後おばといとこたちは車の関係で先に帰り、私と母と妹は祖母の遺骨や位牌と一緒に迎えを待ちました。迎えが遅くて母がイライラしていました。私はその時タイムラインのオタクに喧嘩を売っていました(オタクすまんな!)


遺骨を拝んでもらい、その後母の友人(昨日のスナックの人です)が作ってくださったお弁当を配って解散になりました。

四十九日までお供えする?料理をいただいたのですがそれを見た妹が「こんなんばあちゃん食べんじゃろもっとガッツリ食べさしてあげりゃええのに」と言ったので「10年間断食しょったけ49日は回復食じゃ~」と返しました。(10年間断食なら10年回復しろみたいなクソリプはええんで)


祖母はほんとに大酒飲みの大食らいだったんで向こうでは沢山飲んで食べてくれるといいと思います。